対馬丸の高さを感じてほしい


館内の様子
(写真はいずれも対馬丸記念館提供)



住所:那覇市若狭1−25−37
電話:098-941-3515
開館時間:午前9時〜午後5時(入館は午後4時半まで)
休館日:毎週木曜・年末年始
入館料:大人(大学生以上)300円
     小人(小・中・高校生)200円
     団体(20人以上10%割引)
ホームページ: http://www.tsushimamaru.or.jp/index.html



対馬丸記念館に行こう
――非戦平和の意味を噛みしめる


 戦火の色が濃くなってきた1944年、子供たちが戦争に巻き込まれることを防ぐため、 沖縄県の発令で学童の集団疎開が行われることになった。 その1つが九州・長崎に向けて出航した陸軍徴用貨物船「対馬丸」だった。

 私たち沖縄県民なら誰でも知っているであろう史実である。

 国民学校学童(6歳〜15歳)や引率教員、一般疎開者ら1788人を乗せた対馬丸は、 1944年8月21日に出航、その翌22日夜10時ごろ、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受ける。 数発が命中した対馬丸は闇夜の海で沈没する。 乗船客のうち1418人(ただし名前が判明した人数)が犠牲になった。このうち、 学童は775人にのぼる。

 この対馬丸を通して戦争の悲惨さや愚かさを次代に継ぐ"負の遺産"として建立したのが対馬丸記念館である。 対馬丸に乗っていた人の半数が学童だったので、対馬丸と学童に焦点を絞った。

 総コンクリート造りの建物は対馬丸と同じ高さにしてある。 入り口を2階に設けてあるので、対馬丸に乗った子供たちと同じ目線に立つことができる。 対馬丸に乗って本土に向かう子供たちはその時どんな思いを抱いただろう。 どんなことを感じただろう。 不安感を抱いていた子供もいたようだ。旅行気分でワクワクしていた子供もいただろう。 対馬丸と同じ高さに立ち、子供たちに思いをはせる。

 中に入ると、展示品は少なめではあるが、 生存者の証言を見られる画面や船内にあったカイコ棚ベッドの再現、当時の教壇の模型などがある。 大型展示場のスクリーンに対馬丸の悲劇が数分間隔で映し出される。 展示物があまりないという状況下で、それでもいろいろな工夫を凝らしていることが伝わってくる。

 最も胸を打つのは、亡くなった学童たちの顔写真である。 これは「ひめゆり平和祈念資料館」が採用している方法と同じだ。 無限にも近いとさえ思われる人生の残りの時間を戦争によって一方的に断絶させられた子供たちの無念を思うと、 私は1人の親として、立ち尽くしてしまった。

 対馬丸は時速20キロほどだったそうだ。 老朽化した船底に造られた児童たちの寝床は換気がなく、蒸し風呂のような暑さだったとも言われる。

 親と離れ離れになる寂しさを紛らすのは、 本土に行けば「汽車に乗れる。雪を見ることができる」といったささやかな楽しみだったそうである。 それが、数発の魚雷によって暗黒の闇へとかき消されたのである。

 その様子を想像すると、私は苦しくなってくる。

 対馬丸が撃沈されたことについて、当時はかん口令が敷かれた。 ファシズムの怖さである。

 現在も世界のあちらこちらで戦争が起きている。 非戦平和を叫ぶことのむなしさや無力感を感じざるを得ないが、 しかし、対馬丸の悲劇を通して平和について考えることであらためて平和の尊さを知ることができるのは間違いない。 非戦平和を叫ぶことへの無力感を感じたら、何度でもここに来て、 その大切さを再認識できそうな気がする。

 観光客にも県内の方々にも足を運んでいただきたい。(沖縄王・BEEN仲栄真)






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