これが帯つきの表紙


 これが帯なしの表紙


 裏表紙は絵のように見えるかもしれないが、
 写真です


これが背表紙



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『沖縄に恋する』の「あとがき」

 2004年4月に私の3冊目の本として 出版された自著『沖縄に恋する』には「あとがき」がない。 何か難しい理由があるわけではない。 単に紙数を確保できなかっただけである。 そこで、ここに「あとがき」を記すことを思いついた。

 取材は2年に及んだ。 単に話を表面的に聞くだけではなく、取材相手の 職場や家庭などを訪ねた。 「現場」から感じ取るものや見えてくるものが あるからだ。その大半は文字になっていない。 しかし、原稿を書いていると、現場の数々が 目の前に浮かんだ。現場で感じた“空気”を反芻しながら 表現を選んだ。

 私にとってはぜいたくな取材であっても、取材相手にとっては 面倒な話だったりするものである。にもかかわらず、どなたも 快く応じてくださった。あらためて感謝申し上げます。 と同時に、紙幅の都合がどうにもつかず、 涙をのんで割愛せざるを得なかった3人のかたがたには お詫び申し上げます。

 『沖縄に恋する』が出来たのは、 大勢の沖縄の人のご協力があったからでもある。 取材に応じてくださった6人はもちろん、 通算4年以上になる沖縄暮らしで出会った大勢の人と 過ごした長い長い時間が原稿を書く際の下敷きに なっている。那覇高等予備校(倒産)や那覇ビジネススクール(これも倒産)の 教え子たちや先生たち、一緒にコーヒーを飲んだ人や模合仲間、 一緒に晩飯を食った人、沖縄王の取材に応じてくれた人、 沖縄王の仲間、本土から遊びに来た友人知人、1フィート運動の会の 関係者、家庭教師の教え子たちなどなどの表情や声、 会話の内容が次から次に蘇る。さらに、一般的な沖縄の人の 考え方や本土観などを知るために、何人もの沖縄の方々から 話を慎重に聞いた。ご教示くださったみなさまにも あらためてお礼申し上げます。

 私自身の話は、沖縄に定住し損ねた 失敗者の体験談として読んでいただければと思う。 自分の話を公にするつもりは当初なかった。 公にしたくもなかった。しかし、 取材相手の人生を明らかにしているのだから、 筆者の私が隠すわけにはいかない。

 りんけんバンドや前川守賢の音楽を 流しながら原稿を書くことが多かった。 沖縄の雰囲気に浸りながら書こうという魂胆である。 ところが、ウキウキする音楽につい立ち上がり、 ひとりで踊ってしまうのである。そのたびに 原稿が遅れる。しかし、 そうであっても、沖縄音楽は原稿執筆に欠かせなかった。

 欠かせなかったという点では、WAVE出版の編集者・面代真樹さん(男性ね)と この本の協力編集者・檜賀充さんの存在もそうだ。 檜賀さんは沖縄が大好きで年に何度も沖縄を訪ねる 沖縄病患者である。つーと言えばかーという感じで、 沖縄の話で盛り上がった。いっぽう面代さんは沖縄を訪ねたことがなく、 したがって沖縄のよさを肌身で感じたことがない。そんな 面代さんを相手に沖縄のよさを説明しようと試みることは 本当にいい勉強になった。ただ、私は「いい勉強になった」で済むが、 ソクラテスの産婆術を施した面代さんは本当に大変だったと思う。

 事実、面代さんの席の前に座るWAVE出版の 女性編集者は「毎日毎日面代の顔色が黒くなっていくのが よく分かりました」と証言する。 面代さんが日焼けをしたのではない(当たり前)。 打ち合わせの時や電話で話す時には 前述したような産婆術に時間をかけてくれたほか、 私が完璧な原稿を書けないものだから何度も書き直しを することになり(涙)、日程が押せ押せになってしまったのが 大きな原因である。

 あらためてふたりの編集者に感謝の気持ちを 申し上げます。

 さらに、素晴らしい装幀をしてくださった日下充典さんと、 素晴らしい写真を撮ってくださった加藤敏男さん、 仲栄真宏さん、我喜屋清美さんに感謝申し上げます。 後者のふたりは沖縄王の仲間です。

 『沖縄に恋する』を読んだ沖縄の友人が電子手紙をくれた。 「沖縄かぶれしたないちゃーの既存の本」とは全然違う、と 書いてあった。

 「沖縄かぶれしたないちゃー」か。うまいこと言うなぁ。

 沖縄の人に「沖縄かぶれしたないちゃー」と言われたら おしまいだ(←何が?)。しかし、「沖縄かぶれしたないちゃー」が いるのは事実である。具体的に言及すると、私が沖縄王の書評で 酷評せざるを得なかった本の筆者たちや沖縄を褒めるだけの 沖縄褒め殺し派の人たちがこれに該当する。 該当するみなさんは「沖縄かぶれしたないちゃー」という 視線を浴びせられていることがあるということを、 この機会に自覚しましょう。

 沖縄に関する本といえば、@沖縄戦や米軍基地に関する本A沖縄を ことさら賞賛したり特別視したりのデタラメ本、に大別できる。 「沖縄かぶれしたないちゃー」の本であるAの本には、 私もかねてから不満と不信感を抱いてきた。

 軽い取材しかしたことのない筆者たちに、きちんとしたものを書けという のは、そもそもがないものねだりなのだろう。能力以上のことを 求めても仕方ない。だからといって、お気楽沖縄本の氾濫が、 このままでいいとは思わない。ただでさえこんにちの 沖縄は「あぶく沖縄」状態なのだから。

 さて、そこで私の『沖縄に恋する』である。 題名は甘いけれど、中身は決して甘くない。

 「沖縄かぶれしたないちゃー」の本や 沖縄で私が経験したデタラメさなども少しだけだが 具体的に描いた。 沖縄での経験を踏まえて沖縄の“空気”を描きながらも、 それが沖縄独特であるかのような決めつけは避けた。 読者に間違った印象を与えてはいけないからである。 沖縄莫迦本を批判している(というか、おちょくっているというのが 正確だな)私が同じことをしてしまうと、 莫迦の仲間入りをすることになってしまう(←こんなことを「あとがき」に書くかね普通)。

 というわけで、ところどころに沖縄の批判が出てくる。 いいものはいい、よくないものはよくないと言わなければ、 私の好きな沖縄がどんどん「あぶく」化してゆく。 これは子育てと同じだ。 私が見た限りでは、親に叱られない子供は単なる莫迦になっている。あわてて 注釈をしておくと、本土の人間が大人で沖縄が子供という例えを したのではない。念のため。

 『沖縄に恋する』が、これまでの沖縄本の流れや本土と沖縄の向き合い方を少しでも 是正する(対等になる)ひとつのきっかけになればいいなと思う。(沖縄王・西野浩史)






©2004, 沖縄王