東京公演を控えた松田しのぶさんに迫る

 『ハリヨイ美童』というCDをキャンパスレコードから出した 松田しのぶさんが、10月に東京で演奏会を開く(詳細はこの画面の一番下に)。 その準備で忙しい松田さんに話を聞き、素顔に迫った。

 父親は三線の弾き手として知られ、ザ・フェーレーの頭(かしら)を 務める松田弘一さんである。父親の研究所からは 昼も夜も三線と唄が聞こえてくる。環境のお陰か、 唄は自然に覚えた。

 知名定男さんや嘉手苅林昌さん、登川誠仁さんら 第一線で活躍している人たちがいつも出入りし、 かわいがってもらった。「今思うと恵まれた環境でした。でも当時は この道に進むとは思っていませんでした」

 学校の先生や近所の人から「あなたも(お父さんのように) やれば」とよく言われたが、興味があるのは流行歌だった。 民謡はというと、方言の意味が分からなかったし、父親の職業柄 あたり前に身の回りにあったから、あえて好んで聴くことをしなかった。

 とはいえ、毎週日曜の午後6時から、ラジオにかじりついていた 時期がある。父親が定期的に出演する番組を聞くためだ。三線の音で 父親が弾いたかどうか分かった。楽しい時間だった。 「そのころ聴いた民謡は今も好きです」

 高校時代、「コンクールを受けてみなさい。まずは新人賞を」と 父親に勧められる。初めて自分用の三線を買ってもらい、 直前の1週間になって猛練習した。「真剣にやりなさい」という 父親の叱咤激励が効いたのか、新人賞を獲得できた。しかし、その後、 父親への反発などで上京してしまう。

 沖縄に舞い戻ったのは21歳のころである。父親が 中の町に出した店の手伝いをすることになった。 仲直りできると思った。行ってみたところ、 「唄え」と父親が言う。唄ってみたものの、 声が響かない。のどができていないと歌えないことに気づき、 愕然とした。

 そんな困惑を知るよしのない地元のラジオやテレビの関係者の間では 「松田弘一の娘が民謡を始めたらしい」とうわさになった。 ラジオ番組に1年半出演する機会を得るなど、仕事は増えるのに 唄がうまくならない。体を壊して入院し、以来3年ほど父親から離れた。 しかしこの期間に「松田しのぶ」が熟成したと言っていいだろう。
 この機会に民謡を真剣に研究してみようと思い、 伊波貞子さんと金城恵子さんのCDを買い、 聴き続けた。「女性が唄う民謡を聴くのなら」と父親が 挙げたのがこの2人だったのである。 最初はこの2人の何がいいのか分からない。なぜ父親が薦めたのかも 分からない。毎日聴き、CDに合わせて唄ううちに、 のどの使い方などが分かるようになってきた。 「こういうのどの使い方をしたら、こういう声が出る、というのが 分かってきたんです」。伊波さんからは力強い唄声を学び、 金城さんからは節回しや唄の味を学んだ。 いつの間にか「耳」が鍛えられた。 父親が2人を薦めた意味が分かった気がした。

 父親の唄のCDを聴いてみたことがある。 微妙に音程を外しているのが2曲あると 思った。ところが故・普久原朝喜さんの唄のCDを聴いてみたところ、 同じように外していることに気づいた。「音程を 外しているのではなく、そういう唄い方があるのだ」と知った。 歌詞の意味を調べたりして、沖縄民謡にのめりこんでゆく。

 そんなある日のことだ。昼間、いつもと同じように CDを聴いていたら、震えが止まらないくらいの感動が押し寄せてきたことが 2回あった。伊波貞子さんの「花風述懐」と 父親の「毛遊びチヂュヤー」を大きな声で一緒に唄いながら、 歌詞の状況が脳裏に浮かんだ時だった。

 沖縄民謡を勉強したい。意欲がわいてきた。父親に連絡し、 復帰への一歩を踏み出す。2000年に琉球民謡協会から優秀賞を、 2001年には琉球音楽協会から最高賞を、 そして「輝け民謡アカデミー」でアカデミー大賞を受賞する。

 「沖縄の唄は、月や打ち寄せる波に自分の気持ちを 托します。唄っているとその情景が目に浮かぶんです。 そんなとき私は沖縄の人間だと感じる瞬間があります。 沖縄の唄は魂のこもったものが多いので、それを 感じてもらえれば、老人が聴くだけの音楽でもそば屋で流れているだけの 音楽でもないことが若い世代に分かってもらえるのではないかと 思います」

 「ハリヨイ美童」は上原直彦さんの作詞である。 21歳の時にバレンタインデーにチョコを上げたお返しに、上原氏が ホワイトデーに贈ってくれた詩である。これに前川守賢さんが 曲をつけた。

 父親が使っていた三線を最近譲り受けた。「音の余韻が全然違うんです。 練習好きになってしまいました」

 実は小学生のころ父親が一度だけ 面と向かって教えようとしたことがある。父親がまず弾いてみせた。 しかし、それを真似して弾くことができなかった。 父親は「お父さんは子供のころ一回聞いたら一回ですぐできたのに。お前は お父さんの子じゃない」と言って、教えるのをやめてしまった。その 父親から三線を譲られたのだ。愛娘を見る父親の期待は大きい。

 「自分の流儀を今は模索中ですが、これからの10年で確立したい。 聴く人たちをうならせる唄い手になりたいですね。 そして、父親に近づきたい。子供のころ『お前のお父さんはすごい』と 言われ、その意味は分からないものの誇らしかった。今になって すごさが分かるようになりました。父親を超えることはできないものの、 父親が唄ってきた唄を自分が守っていきたい。そのためには 父親が元気なうちに習っておこうと思っています」
 何度も反発してきたけれど、 尊敬する父親と心の中ではいつも“二人三脚”だったのかもしれない。 父娘の物語はまだまだ続く。(沖縄王・西野浩史=文、 沖縄王・BEEN仲栄真=写真)


東京公演の情報
http://www.mandicompany.co.jp/live-event/live/matsuda/matsuda.html
出演:松田しのぶ(唄・三線)、松田一利(三線)
■10月14日(月曜・祝日)池袋・やったるぞう
午後6時30分開演、チャージ:2000円。共演:アコースティックM
■10月15日(火曜)六本木・島唄楽園
午後7時30分開演、チャージ:1000円
■10月16日(水曜)中野・ちむ屋
午後8時開演、チャージ:1000円
後援:日本三板協会
協力:キャンパスレコード
問い合わせ:M&Iカンパニー 03-5453-8899

予約は直接お店に
やったるぞう 豊島区池袋2-50-9 第三共立ビル1F 03-5951-6785
島唄楽園 港区六本木7-14-10 誠志堂ビル4F 03-3470-2310
ちむ屋 中野区新井1-36-3 フジビル1F 03-3387-5855






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