今泉真也と行くワッター自然
第7回 砂の展覧会


 それは満月の夜でした。浜で友達になった子どもと、 波打ち際で砂掘りを始めました。まだ海の中にあるような 水気たっぷりの砂が手のひらに優しく、何か作っても すぐ崩れてしまうのですが、その感じがとっても柔らかで、 「水っていいなあ」「砂っていいなあ」とうれしくなって しまいます。

 少しだけ陸の側に移ってみると、 砂の感じがガラッと変わります。滑らかなんだけど、 吸いつく感触がまた不思議で、 子どもはもう夢中になって砂と遊ぶ。 僕も幸せ気分で、腰の痛いのを忘れて砂浜に 這いつくばってしまいます。思いつくままに砂を 盛り上げたり穴を掘ったりしているうちに、 それはいつしか作品になってゆきました。

 それまで雲に隠れていたまん丸の月が 顔を出したとき、浜は一瞬、昼間に戻ったような 錯覚を覚えます。次に足もとの砂を見下ろしたとき、 思わず僕は叫んでいました。 僕らの作ったはずの顔や花や動物や山といった “作品”が、作品ではなく本物に見えたからです。 月は満月とはいえ太陽より薄暗いものです。 そのおぼろな青い光の中で、 昇りはじめた低い角度の月光に照らされた“作品”たちには、確かに生命が宿っ ていました。

 ほんの波打ち際でだけ、この砂造形は可能になります。 翌朝にはもうその作品は消えてなくなっているかもしれません。けれど、小さい ころ砂場でみんながお世話になった 砂遊び、それが子どもにとってはほとんど無限のように 広い自然の砂浜でできるのです。大人も夢中になるのは当然でしょう。

 僕は、壮大な『海からあがった古代人』、繊細かつ大胆な『宇宙人のトンネ ル』、芸術の香りあふれる『鼻に花の咲いた馬』など、唯一無二の名作をものし ました。もちろんそれは海にそのままプレゼントしたので、みなさんにお見せで きないのがとってもとっても残念! いやァ〜すばらしい傑作でしたのに……。

 3点の“作品”は、後日、大人だけで作ったものです。 写真は撮りたくなかったけれど、 この原稿のために仕方なく撮りました(笑)。 始めるとハマッてしまうため、無言と独りごとの 繰り返す時間が浜に長く漂っていました。 人が自然、そして自分と向き合う大切な時間 だったように思います。写真という「残る」ことをやっている 自分にとっても、懐かしくて新しい体験となりました。

<参考>明るい月が低くかかっている時間の砂浜がベストです。砂は沖縄のよう に白くなくてもOKです。あとで手を洗うための真水やタオルなどをお忘れなく。
 フラッシュで写真を撮る、朝の光で作品を見る、 などは御法度でしょう。「残らない」ことが心に残ります。 どうしても撮りたいときは三脚を使い、月光で(感度100のフィルムなら、満月 ・白砂・f4でも10分ほどの 露光が必要)。
 この遊びにはお金も準備も要りません。 必要なのは、形にとらわれない心です(それが僕らには一番むずかしいんですけ どね!)。





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