書評――『泡盛はおいしい』が「徹底した現場主義貫く」とは大笑いだぞ

 泡盛のことを調べているので、『泡盛はおいしい』 (富永麻子・岩波アクティブ新書・2002年11月6日第1刷発行)を 買って読んだ。文章は 下手糞である。泡盛の宣伝に終始しており、 泡盛業界の抱える問題点に一切触れていない。この程度の原稿は、 その辺にいるちょっと出来のいい高校生なら書けるだろう。

 筆者は1999年度の「泡盛の女王」だった。でもって現在の 肩書きは「泡盛ルポライター」と名乗っている。この本を読んだ限りでは、 「泡盛業界宣伝請負ライター」と名乗るのが正しいと私は思う。 つまり、最初から最後まで「宣伝」ばかりなのである。 「ルポライター」を名乗って恥ずかしくないのか。

 にもかかわらず、仲村清司という「作家」先生は 2002年12月1日付『琉球新報』の 読書欄で<徹底した現場主義>と褒めちぎっている。 「泡盛業界宣伝請負ライター」にも 「作家」先生にも言えることだが、褒めまくればいいというものではない。 現実的な批判が相手を成長させることがあることを、知っておくべきだろう。 仕事面で他人に甘い人は、総じて自分に甘く、要するに仕事のできない人が 多い傾向にあると私は思う。私の持論は、失礼ながら、この2人にも あてはまる。ということで、私の登場となる。

 本の筆者の富永さんは県内の全酒造所を取材した経験が あるそうだ。それ自体は立派である。でも、それを生かせて いない。泡盛業界に寄生して生きていくしかないから問題を見ないように しているのか、もともと書き手としての能力に欠けているから問題が 見えないのか。どちらにしても「ルポライター」を名乗る 書き手としては致命的である。

 琉球王国時代に<首里には四十数戸の酒造所があ>ったことと 現在は<県内に四八ヵ所の酒造所がある>ことを並べて、 <偶然とはいえ、神秘的な歴史を感じさせられる>と記した。 何が<偶然>なのか。どの部分が<神秘的な歴史>なのか。 わけの分からないことを勝手に<感じさせられる>富永さんは 自分の論理性を疑ってみたほうがいい。

 <ヨシ夫人は、まるで死人のようになって戻ってきた平良氏を 宮古島の北に位置する池間島から運んできた新鮮な魚を食べさせ、 体力をつけさせた>は私の頭を混乱させてくれた。助詞を扱う言語能力は その辺の幼稚園児に劣る。私ならこうは書かない。書き方は いくつかある。例えば――。

 「平良氏がまるで死人のようになって戻ってきたので、 ヨシ夫人は、宮古島の北に位置する池間島から運んできた新鮮な 魚を食べさせ、体力をつけさせた」や「宮古島の北に位置する池間島から運んで きた新鮮な魚を、まるで死人のようになって戻ってきた平良氏に ヨシ夫人は食べさせ、体力をつけさせた」など、できるだけ分かりやすい 書き方がいくつかある。

 与那国島で泡盛の瓶にクバ巻きをする老夫婦を訪ねた時は、 <天井を覆うほどのクバと、床に置かれた花酒の瓶、それ以外の ものは、まったくない家の中で、老夫婦は、どれほどの花酒にクバを 巻き続けてきたのだろうか。そんなことを思い巡らせていると、 言葉では表せないほど胸が熱くなり、訳もわからず涙が こぼれそうになる>んだそうな。一方的かつ勝手に<思い巡らせ> た挙げ句に<胸が熱くなり><涙がこぼれそうになる>と言われても、 私は「それは泡盛の飲み過ぎでしょ」と応じるしかない。 「涙がこぼれそうになる私って心が優しいのよ」としか私には 読めない自己陶酔の文章に、私は悪酔いしそうである。

 さて、「作家」先生の“書評”を見てみよう。<ラベル貼りひとつとっても、 女性ならではの細やかな心配りが込められていることが痛感させられる はずだ>だって。「作家」先生の頭には「女=細やか」「男=大まか」という “公式”があるのだろう。でなければこんな陳腐で画一的な構図を 描けるはずがない。

 文章を書く専門家であるはずの「作家」先生にあえてご指導しよう。 私が自信を持って言えるのは、 万一私がこういう表現を書いても、即座に 頭の中で「細やかな男」や「大まかな女」の存在が具体的に浮かぶので、 表現を変えるということだ。自分の頭の中に出てくる反論(論考の 弱点)と戦いながら、 その反論をつぶしたり上手に回避したりして、疑念の余地の ない表現を探すのが文章を書く作業の1過程であり、頭の動きである。 厳しい仕事をしたことのない「作家」先生には、難しすぎるのかも しれないが。

 人間関係も仕事も馴れ合い褒め合いの多い沖縄は、 そういう内向きのぬるま湯から出られないのだろう。個人的な 人間関係はそれでいい。でも、仕事になったら話は別である。 「仕事には厳しい沖縄」を築き始める時期ではないか。 (沖縄王・西野浩史)






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