うちなぁ歳時記
12月--1年を振り返る季節


 夏の間、「暑い」と言っては靴下を履きたがらなかった娘たちが、私にうなが されなくても靴下を履くようになった。 私にとって、冬の訪れの合図だ。たんすの奥から 長袖シャツを出し、替わりにノースリーブや半袖シャツをしまう。去年購入した 厚手のジャンパースカートを娘たちに着せてみると、丈が短くなっている。1年 でずいぶんと成長したものだ。 「大きくなったね」と声をかけると、娘たちは誇らしげに うなずいている。去年と同じ時期の娘たちの姿を 思い出しながら、時の流れを感じている。 娘たちの成長に比べれば、私自身の成長は情けないほど 微々たるものだ。いや、もしかすると成長に値することなど 何もなかったのかもしれない。そう思いながら、 「衣替えのあとは年賀状とお歳暮の準備が待っているな」と、 これからの「仕事」をリストアップしている。 年末になって、慌ただしさと共にやってくるこれらの「仕事」の 数々は、そのままこの1年間を振り返る機会となる。

 21世紀の幕開けとなった今年、「この世紀は平和の世紀にしていこう」と強く 願った人々は多かったに違いない。 私もその一人だ。しかし、アメリカ同時多発テロの発生と その後の「新しい戦争」の勃発、今なお混迷する アフガン情勢の報道に接して無力感を味わう日々を 送り続けている。

 観光客が激減した沖縄では、あいかわらず深刻な事態 が続いている。「だいじょうぶさぁ〜沖縄」という キャッチフレーズと共に沖縄観光を盛り上げていこうという 動きが活発だ。しかし、皮肉なことに、その動きが活発で あればあるほど、沖縄観光の受けた打撃の大きさが 露呈していく。確かに沖縄で暮らす私自身の生活に テロ以前と以後では何一つ変化はない。 そういう意味では「だいじょうぶ」なのかもしれない。 とはいえ、基地のゲート付近で、県外から応援に駆け つけた警察官が防弾チョッキ姿で基地の外(つまりは私たち)に向かって立って いる光景を見るたび、やはり異様さを感じずにはいられない。そんなこともあっ て、私は 口をつぐむ。どうしても「だいじょうぶさぁ〜」と言える 心境になれないのだ。私が「だいじょうぶ」と 言ってみたところで、テロ以降増えている米軍機離発着の 轟く音にかき消されてしまうだろう。

 もちろん、私は沖縄県民の一人として、 沖縄の観光業に真摯に取り組んできたすべての人々のことを思うと胸が痛む。 しかし、それ以上に胸が痛むのは、テロや「報復」という名の 戦争で犠牲になった人々のことを思う時だ。 沖縄は過去の地上戦で戦争の愚かさを身をもって体験した。 私たち沖縄県民は「大丈夫だ」と主張すると同時に (いやそれ以上に)傷ついた人々に「大丈夫か」と 声をかけるべきではなかったのか。 私たちが歩んできた歴史を振り返り、 自信をもって「戦争をやめよう」と主張すべきだったのではないだろうか。無力 感にさいなまれつつ、そんな思いが駆け巡る。 それなのに、結局私は今この瞬間も何にも出来ずにいる。 この一年間、やはり私は全然成長していないようだ。 残念ながら。(沖縄王・新屋敷弥生)






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