うちなぁ歳時記--修学旅行の季節に思う

 この時期になると、さすがに暑さが和らいでくる。 真夏なら午後7時台でも明るかった空が、最近では午後6時前後に暮れかかる。他 府県の人が聞けば、それでも遅い夕暮れ時なのもしれないが、 日中の時間は確実に短くなっている。保育園のお迎えの際、娘たちにうながされ て見上げた空には秋の雲が浮かんでいた。沖縄は季節感に乏しいといわれるが、 トンボの群れを追いかける娘たちの後ろ姿を見つめながら、つつまし やかな季節の移り変わりを確かに感じている。

 そんな沖縄の秋の季節に毎年多くの修学旅行生が訪れる。 沖縄の自然や陶器、織物などの伝統工芸に触れる体験コースなどのほかに、戦跡 や基地めぐりなど平和学習コースを設定している学校が多い。 沖縄の観光の季節は海水浴やマリンスポーツが堪能できる真夏が中心だったが、 この数年の間に修学旅行の秋の観光シーズンが定着したのだ。 「観光立県」を掲げる沖縄県は順調に歩みを進めているはずだった。 しかし、今年の秋は違う。9月11日に起こったアメリカの同時多発テロの 影響で、観光客の足が沖縄から遠のいた。 修学旅行のキャンセルは実に10万人を超える事態となったのだ。 在日米軍基地の約75%が集中する沖縄に危険を感じ、 かわいい我が子をその地に旅立たせることはできないという「親心」の 表れなのだろうと察しはつく。

 観光客の激減を食い止めるために発表されている 「沖縄県の安全宣言」に協力するわけではないのだが、 沖縄に住んでいる私自身の生活はテロ発生以前と何も変わっていない。 子供たちの世話と原稿の締め切りに追われる日常生活を送っている。 しかし、沖縄行きをキャンセルした人々の多くは 「県民生活が安全ではないから」という理由よりもむしろ「飛行機に乗る」こと の怖さを感じているように思える。テロ発生直後、 私の周りでは「沖縄行きの民間機を乗っ取って嘉手納に突撃する 予定があったそうだが、沖縄が台風で天候不良だったので予定変更に なったらしい」という噂がまことしやかに流れていた。 テロの翌日、私の母はヨーロッパ旅行から戻ってきたが、母の元気な顔を 見るまで、正直なところ、かなりフトゥフトゥ(ドキドキ)した。だから、 この時期、大切な人を飛行機に乗せたくないという気持ちは理解できる。

 ウチナーンチュの多くが沖縄の自然や文化をこよなく愛している。 沖縄戦やその後の米軍支配の体験から平和的教訓を導き出し、 そのことを誇りに思っている人は少なくない。学びの場として、癒しの場とし て、沖縄は「観光立県」を目指すに値すると自負する県民は多いはずだ。 だからこそ、考えたいのだ。私たちが望む沖縄の姿がどう いうものなのか。多くの人に故郷の良さをアピールしていくために必要なものと そうでないものとは一体何なのか。この秋の観光客の減少は、 私たちウチナーンチュに「どう生きていくべきか」という大きな問題を提示した ように思えてならない。その答えを探るきっかけにするには、 テロや「新しい戦争」で出してしまった犠牲は余りにも大きすぎた。 この時代を生きる大人の責任を考えては自問自答を繰り返す秋の夜長で ある。(S)






©2001, 有限会社沖縄王