うちなぁ歳時記
旧暦7月-旧盆の季節、エイサーの季節


 夏本番。みぞれ、冷しぜんざい、すいか、麦藁帽子、 浴衣にうちわ・・・そして、どこからか聞こえてくる パーランクーと三味線の音。各地でさまざまな夏祭りの 催し物があり、そこで披露されるエイサーは今や沖縄の 夏の風物詩として欠かせないものとなった。  近年では、各地の青年会のみならず、 婦人会やちびっこエイサーなども大きな会場で一同に会して 大がかりに行われている。

 しかし、私にとってのエイサーのイメージは、 幼い時から見てきた旧盆(の特にウークイの夜)に 故郷のスージグヮーを練り歩く勇壮なお兄さんたちの姿だ。 大きな会場でスポットライトを浴びるエイサーより 月明かりの下で披露されるエイサーのほうが本当に 美しいと思う。マイクも拡声器も通さない、それこそ 生の三味線と指笛の音は胸の奥まで心地よく響いてくる。

 ご先祖様を見送るウークイの晩、おじぃ・おばぁの家に 親戚中が集まってウートートーする。 ウサンデーのごちそうもいただく。 お供え物の準備などで大人は大変なのだが、 子どもにとっては、いとこたちと集い ワイワイガヤガヤにぎやかに楽しく過ごせる夜なのだ。 庭で線香花火をしたり、幽霊話をしたり、 まだやり残している夏休みの宿題の話をしたり、 子どものころの旧盆はどこまでも無邪気で、 果てしなく楽しかった。そして、 遠くからパーランクーの音が聞こえてくると、 いとこたちと競って見に行ったものだ。 「ヒーヤーサーサ」の掛け声を一人前に真似てみたりもした。 幼いいとこの中にはチョンダラーの特殊メイク(?)を見て 泣き出し、ちょっと大変だった。それでも、 私は踊り手のお姉さんたちのしなやかな手の返しに つい見とれてしまい、泣きべそかいている いとこをなだめながらエイサーを見続けていた。

 おばぁの家を新築した年のお盆はスペシャルな夜だった。 「カリーチキラ(福をよびこむ)」ということで 屋敷内に青年会の皆さんを招き入れ踊ってもらったのだ。 あんなに間近で、じっくりと拝見できたのは、 きっとあれが最後だろうなぁ。

 時は流れ、エイサーで汗を流す青年会の お兄さんたちも、しなやかな舞いを繰り広げる お姉さんたちも、私よりずっとずっと下の世代が 担うようになった。だけど、 すっかりおばさんになった今でも、 おばぁの家の近くのスージグヮーの向こうから パーランクーの音色が聞こえてくると、 子どもの時と同じようにワクワクする。 チョンダラーを見て泣いていたいとこは、 今や思春期に突入してしまい、 ハジカサーして、前のように「ねぇねぇ」と 私のことを呼んでくれなくなった。かわりに、 私の娘たちが私の後ろからこわごわとチョンダラーを 見つめるようになっている。

 エイサーを堪能して家に帰ると、 娘たちはタンバリンをパーランクーにみたてて エイサー練習をしている。 時には「チョンダラー、こわくないよ」と強がりを 言ってみたりもする。 「沖縄芸能の伝承を」などというような 難しいことは私にはよく分からないけれど、 パーランクーの音を聞いてワクワクした気持ちや いとこたちと楽しんだ線香花火の輝き、 そんな楽しい思い出が私の娘たちの胸の中に ひとつでも多く残るといいなぁ。 そんなことを星の輝く夏の夜空を見上げながら 思っている。(S)
 





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