米軍基地内パーティに大潜入!

 沖縄シュラインクラブが主催するチャリティーパーティが キャンプフォスター内のバトラー将校クラブで4月中旬に行われた。 シュラインクラブの歴史は古い。1872年にアメリカで発足して以来、 今では北アメリカだけで計191ヵ所に計52万人のメンバーを数える。 火傷を負った子供や身体障害の子供のための 「シュライン・ホスピタル」という病院の運営に 欠かせない募金を募る一環としてパーティを主催する。

 沖縄には現在12人のメンバーがおり、その多くは軍属だ。 そのせいか、毎年のパーティは基地内で行われることが多い。 私(編集部員G)は知人のつてでパーティのチケットを事前に 手に入れた。チケットを買う際「ビーフ・オア・チキン?」と聞かれた。 何だか飛行機の中で食事をするような錯覚に一瞬陥る。 「うーんっと、チキン!」と答えると、黄色いチケットをくれた。 どうやら色分けされているらしい。ちなみにビーフは青色だ。 そのチケットは「沖縄シュラインクラブ 50周年」と銘打たれ、 なにやらフィフティーズっぽいイラストもある。

 「なになに? フィフティーズの格好でいらして下さい?!」。 よっしゃー! ノリのいい私は、ポニーテイル、水色のジップアップシャツに 7分丈の黒のパンツ、3つ折ソックスにリーガルのサドルシューズで パーティ会場へと向かう。ゲートでチケットを見せて、 ガードからO.K.の合図をもらい、いざ、バトラー将校クラブを目指す。

 午後6時からのカクテルアワーにだいぶん遅れ、同20分ごろクラブに 到着した。「カクテルアワー」とは午後7時に始まるディナーまでの ウォーミングアップのような時間だ。 知人の到着をビールやカクテル、ソフトドリンクを飲みながら待ち、 顔見知りと軽い挨拶をしたり場の雰囲気に慣れたりするための時間なのだ。 受付でチケットを見せ、署名した半券を渡す。


 会場に入ると、「イースト・ウェスト・ジャズ・アンサンブル」という バンドが心地良いジャズを奏でているところで、落ち着いた大人のムードが 漂う。あ、でもいたいた。私のようにノリのいい、フィフティーズの コスチュームを着たアメリカ人や日本人が。ざっと見渡したところ、 半分くらいの人がジーンズで、 バンダナをリボンにしたりポケットにつっこんだりしている。 アロハシャツ、Gジャン、皮ジャン、リーゼントなどなどさすがに バラエティに富む。 身長190cmはあろうかと思われる初老のアメリカ人が オーバーオールを着て、しかも後ろポケットに赤いバンダナをつっこんだりして いる。なんかカワイイ! オシャレだ。

 ざっと300人は入ると思われる大ホールの隅に 設けられたドリンクバーでオレンジを注文し、 所定のテーブルに着く。2人のピエロが各テーブルをすでに回りながら、 変わったハデな形の帽子を風船で作って、お客さんにかぶせ、場を盛り上げている。 お友達との話に花を咲かせていると、「もうすぐディナーの時間です ので、皆さん席についてください」と司会者がアナウンスする。 黄色のチケットをテーブルに置き、ワクワクしながら食事を待つ。 その前に開催者の挨拶や、今夜のパーティに貢献してくれた方への 感謝贈呈などが行われた。


 いよいよディナータイムだ。食事を運ぶウェイトレスが チケットの色を見て、メニューをのせた皿をテーブルにすみやかに置いていく。 この日のメニューはサラダ、パン、温野菜を付け合せた「プライムリブ・ビーフ」と 「チキン・コルドンブルー」、アイスクリームデザート、コーヒーだった。

 ディナーの間もエンターテインメントとして、 「Hamaya Nix Daiko」によるウチナー太鼓のパフォーマンスが繰り広げられる。 約20人の日本人とアメリカ人の小学生が「日出克」や「姫神」の曲に合わせて 壮麗なウチナー太鼓を披露する。もう、カッコイイの一言だ。  ロン・ニックスさんによる棒術やヌンチャク、カマ術(?)もあり、 ヒヤヒヤしながら見てるお客さんもいた。

 お次はティム・オルークさんによる、 アメリカンジョーク満載のマジックショーだ。 ティムさんのブラックユーモアに苦笑いしながらの マジックは笑いありハラハラ感ありで、会場を楽しませてくれた。  それから、アメリカ領事館からジョージ・ノベンジャーさんが ゲスト・スピーカーとしてシュラインクラブへの賛辞の挨拶をした。

 パーティが佳境に入ってきたころ、「フラフープ・コンテスト」が始まった。 フラフープに自信のある子供から大人まで約30人が参加し、 優勝したのは何と日本人の小学生の女の子だ! 優に10分は 回し続けていたと思われる。

 そしてみんながお待ちかねの「ドア・プライズ・タイム」だ。 「ドア・プライズ」とは、このパーティのために スポンサーから無償でいただいた陶器の置物や食事券、 宿泊券などを、受付で渡した半券から抽選でお客さんにプレゼントすることである。 自分の名前を呼ばれるのをワクワクしながら待ったが、残念ながらハズレた。 つくづくクジ運のなさを嘆く。一緒に参加した友人はさっさと呼ばれて、 陶器の壺にも花瓶にも見える置物をゲットしたというのに、だ。 隣のテーブルの「タイタニックの1等客」のようなアメリカ人が、 その紋様が珍しいのか、「見ていいですか?」と声をかけてきて、 まじまじと見つめていた。

 最後は、50年代のアメリカへトリップしたようなディスコ(死語?)大会だ。 ジェリー・リー・ルイスやチャック・ベリーの曲に乗り、 老若男女がフロアに出て実に楽しそうにツイストを踊るのを見ていると、 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の卒業パーティシーンを思い出した。 ”古き良きアメリカ”を彷彿とさせるパーティーは午後11時に幕を閉じた。

シュライン病院とは
1922年、アメリカで最初に創立され、現在は22ヶ所ある。 「レジスターのない病院」として、火傷や身体障害の子供たち(18歳未満) を専門に、無料で奉仕している。

沖縄シュラインクラブとは
1951年に発足し、現在までに70人の子供たちを ハワイやアメリカの シュライン病院に無料で送り出した。

 なお、沖縄シュラインクラブでは、18歳以下で 該当すると思われる方の連絡を待っています。
Eメールアドレス:shriners@hotmail.com
ホームページ:http://www.shriners.com






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